›July 10, 2004

you're not just behind the finder.

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どうも最近撮る写真に満足できません。
だけど写真を撮りたくて仕方がない。

まぁ、今に始まったことじゃないんですけどね、満足できないのは。それでも前までは「あの一枚」「この一枚」っていう満足は一応それなりにあった気がするんです。

また俺特有の、解釈しきれないモヤモヤした「なんとなく」ってやつが最近表面化してきたみたい。俺の場合文章を書いていくうちにハッキリしていくってとこがあるんで、ウザいかもしれませんが、お付き合いくださる方々にはまた思考を追って貰おうかなと…。

昨年jugmに誘われて始めたfotolog
以前から写真撮るのは好きだったんですよね。でも、それでもfotolog始めるまではそれほど日常的に写真を撮るってことはしてなかったんです。(mindfield 1.0ぐらいからちょこちょこ撮ってはいましたけどね)

fotologを始めてから確実に変わったこと。ほんとに色々ありますけど、決定的なのはcamera eyeを持つようになったこと。…まぁ、ちょっと眼を光らせるようになったというだけです。光ってるかは別として(笑)。
今の俺にとって写真を撮るという行為は、日常とか文脈みたいなものを断片化すること。四角のフレームの中に、文脈の一場面をぶち込んでその一瞬をemphasizeする。えらそーなこと言ってますが、要はスナップ写真ですよ。でも、断片で文脈を表現できた(気がする)ときなんかは、もーたまらないわけです。

ところが。
そんな視点で写真を撮るようになって8ヶ月ほど経ち、写真もだいぶ溜まりました。それら溜まった写真を見渡してみると…なぜかとてもイヤ~な気持ちになるんです。すごくイヤ。このモヤモヤはなんなのか…。

fotologには、本当に尊敬できる人たちがたくさんいらっしゃいます。彼らの写真に、どれだけ日々驚きと発見とともに刺激を与えられてることか。そして何より、みんながそれぞれほんとにスタイルを持ってる気がするんですよ。
……あ。これだ、きっと。スタイル。スタンス。

俺としては、自分ってものは常に一貫してなければならない、断片化してはならない。と、こう考えるのです。この一貫性こそがスタイルなのであり、スタンスであると思うんですね。
ところが、自分の写真たちはどうだろ…。自分の写真たちは日常の断片だから、一枚一枚に関連性が乏しくてrandomizeされるのは必然だと思ってます。しかしそれでも、それらを繋ぐモノ(それを何と呼ぶかはわかりませんが)はあって然るべきだと思うんですよね。俺には、どうも自分の写真たちからソレが感じられないんです。今までの写真を観ると、自分自身まで見事に断片化している気がしてしまう。
そして、写真に一貫性がないということは、自分自身にも一貫性がないということになるのでは?そんなことまで考えてしまって、とてもqueasyになるんです。

i know i'm thinking too much...
lomographyなんかでよく、"dont think, just shoot."ってのが出てきますよね。これ初めて見たときはある意味眼からウロコでした。でも、じゃあthinkしないでshootしたとしても、その結果できあがったものに一貫性が備わっているかってことも、やっぱり当然のことながら自分自身の持つ「何か」にかかってるわけじゃないですか。その「何か」が足りない。それを磨きたい。でもどうすりゃいいかわかんない。

どうすりゃいいかわかんないから、とりあえずもっと写真を撮りたい。撮りまくりたい。
そんな感じでまた自己完結してしまうわけです(笑)。

撮るぞー。
practice makes perfect. ....right?

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