2002/11/04 (月)
先日友人が出演していた舞台を観に行った。森鴎外の『山椒大夫 −安寿と厨子王−』の詠み芝居だ。友達は安寿役。
映画はアホのように観てるのに、舞台を観に行ったのはこれでまだ三度目。そのうち二つはミュージカルだから、お芝居を観るのは初めてだ。
実は原作も読んだことがなく、公演の二日前に一度、前日に一度読んだ。『山椒大夫』は、人買いのために母親と離れ離れになってしまった姉弟の安寿と厨子王の受難を通して、親子愛・姉弟愛を描いた悲しいお話。読んでいて何度も胸が締め付けられる想いがした。最後は涙・涙の結末。
やはり舞台となると、映画を観に行くほど気軽にはなかなか足を運べない。いわゆる大衆受けするブロックバスター映画を多く観慣れてる自分としては、舞台全般に対して「コア過ぎる」という身勝手な偏見を抱いていたりもした。
でも(いや、だからか?)今回の舞台観賞はとても新鮮だった。やっぱ「生」は違う。役者たちのセリフの一言一言に耳を傾けて、2,3メートル先で繰り広げられる安寿と厨子王のドラマを目の当たりにすれば、否が応でも芝居に引き込まれてしまう。脚色が最小限に抑えられている詠み芝居でさえあれだけの臨場感を感じさせられた。役者の演技の賜物なのだろうと思う。You have to see and feel it to believe it.
友人の演技を観たのは当然初めてだったのだけど、彼女の表情と振る舞いの豊かさに本気で惚れそうになりました(笑)。
いい役者の条件って何だろう。
当然、演じられることが前提なのだろうけど、その中でも一つは、セリフのないところでの演技だと思う。そしてもう一つが「間」の演技。セリフのない場面や「間」の演技ってひょっとしたらセリフ以上に重要で難しいんじゃないか。「間」次第でシーンそのものが活きも死にもする。などと素人ながら思う。その点、舞台役者出身の映画俳優の演技は、やはりどこか他と違う気がする。
演劇というもののの、演技面における共同性・相互性の重要性を強く感じる。
実生活上の対話にも充分あてはまることなのだろうなぁ。
だから役者は魅力的なのかも。
映画が一昔前ほどドラマティックに感じられなくなってきた中、舞台にハマってしまいそうなのである。
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